Thank You 3.自由な日々
それから姉貴の部屋に住み着いた。
表札には「戸田」とかかれてあったが、名前なんてどうでもよかった。
姉貴の彼氏さんは良い人で、俊さんと言った。
姉貴の家にやってくる姉貴の友達とも仲良くなって、毎日が楽しくて、その時の私はこれほどまでにない自由を感じていた。
見知らぬ土地での違う生活。
過去のことは全て忘れて、自分のしたいことだけをする生活。
これを自由といわずに何と言うだろう。
私は有頂天になって遊び呆けてばかりいた。
姉貴の友達に煙草や酒を勧められて私はそれに従った。
ただしなかったことが1つだけあった。
覚せい剤だ。
姉貴が、あれはやめたほうが良いと耳元で私に囁いたから。
だから手を出さなかった。
今思えば、それは良い判断だった。
ヤク中毒になった人が何人かうちに来なくなったとき、姉貴が「あいつらはサツに捕まった」と無表情に言っていたのを思い出す。
そのとき少し恐怖を感じた。
そして姉貴をまた尊敬した。
姉貴の言葉がなければあのときの舞い上がっていた私は、今頃精神病院で奇声を発しているかもしれない。
姉貴は私が尊敬できる、唯一の人間だった。
ただ、あまり喋らない姉貴の代弁をするかのように、俊さんはよく喋った。
姉貴が煙草を吸うところは、何だか妙に色っぽくて、同姓の私でも惚れそうだった。
姉貴は美人で、黒髪がよく似合っていて、俊さんと出掛けるときにだけ化粧をしていった。
何をしているのかは知らなかったが、ほぼ毎日家にいて、たまに1人で出掛けたと思ったら、酒や煙草や菓子類を大量に買い込んできた。
私が姉貴に拾われてから、もう1年は経っただろうか。姉貴と一緒の布団の中、珍しく姉貴が私に質問をしてきた。
「奈央はどうして家を出てきた」
背中だけしか見えない姉貴だったが、なんだかそのとき姉貴が泣いているような気がした。だが私は気にせず答える。
「むしゃくしゃしていたんだ」親とも先生とも折り合いが悪くて耐えられなくなったんだ、とも答えた。
そして姉貴は再び私に訊いた。
「今が楽しいか」
もちろん。私はそう答えた。いつまでも姉貴とこうして暮らしていたい。本心だ。
「そうか」
しばらくすると姉貴の寝息が聞こえてきた。
いきなり姉貴はどうしたんだろうと思いながら、窓から月を盗み見た。
立派な満月に一瞬目を奪われる。
あの時初めて、月が悲痛で苦しげで、泣いているように見えた。
深い哀しみ。背中に悪寒が走る。
月の泣き声を聞いたような気がしたのだ。