Thank You 6.ありがとう
涙がある程度おさまった丁度良いタイミングで、野崎医師が入ってきた。
「ちょっと良いですか。潟中奈央さんに会って話がしたいという人がいるのですが」
今度は一体誰だろうと思った。見当も付かない。
私がゆっくり頷くと野崎医師が「どうぞ」と言った。 「失礼します」とドアの外で声がした。聞いたことのない声。病室の引き戸が開く。
そこから入ってきたのは、あの時姉貴と俊さんを取り押さえた警官だった。 私は眉根をひそめる。私を取り押さえた、ごっつい顔をしたいかつい警官。 そいつがあの時と同じ茶色のコートに身を包んで、ベッドの近くまで来た。
いかつい警官はまず両親に挨拶をした「こんにちは。綿者野波警察署の川上という者です」
そしてしかめっ面を隠そうともしない私の顔を見て、川上はすまなさそうに笑った。 「あの時は痛い思いをさせてすまなかった。だがしかし君の威勢に私も少々ひるんでね。 ああするしかなかったのさ」
川上のあの手際のよさを思い出した。 向かってくる俊さんの腕を叩き落し、相手の動きを封じる。姉貴の腹に素早く拳を入れる。 そして私の肩を掴み、手をひねり、地面へと叩き伏せる。
だが、どれも川上は本気を出していないように見えた。 川上は武術の達人なのだろう、私たちは手も足もでなかったのだ。
しかしどうして今私に会いに来ているのだ?一体何が目的で?
「察していると思うが、実は私はいろいろな武術を経験していてね。 今剣道の師範をしている。 君のあの闘志、警官だと知って突っ込んでくる威勢の良さ、僕は舌を巻いたよ。 どうだ、剣道をしてみないか」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。 私は“?”を浮かべたまま、数秒川上を見つめていた。
そして何だか可笑しくなってきて、気付くと私は大声で笑っていた。
はじめそんな私を見て川上はきょとんとしていたが、やがて「いやぁ突然ですまなかったな」といいながら、いかつい顔がはっはっはっと大声で笑い出した。 両親も笑って、数分前に泣き声が響き、沈んでいた病室には、今度は打って変わって笑い声が響き渡っていた。
数分後、ようやく笑いがおさまってきて、「私は見込みがあるのか?」と川上に訊いてみた。
「僕が見込んだやつだ。絶対強くなるぞ」川上は自信を持って答えた。
誰かが私を必要としてくれている。川上のその目を見て、とても嬉しくて、そしてありがたい気持ちになった。
また大声で笑うことができる。この世界で。
「ありがとう」


***

まだ会わなければいけない人がいた。
そう、姉貴と俊さんだ。
今は刑務所にいるらしい。懲役3年だと聞いた。 2人の社会復帰を心待ちにしているが、だが2人には変わってほしくない、という心もあった。
私はあの後、3日後に退院をし、何年ぶりかの両親とのまともな生活を始めていた。
久しぶりのアットホームなこの雰囲気。 ずっと味わっていなかっただけに、家の中はなんだかぎこちないkど、それでも、これからちゃんとやっていける。 そんな気がしていた。
そして今、私は受験勉強なるものをしている。
まだ中学3年生だ。今更学校には行きたくないから、自宅で勉強をしている。 分からないところは両親か、剣道を教えてもらっている川上のおっちゃんに聞いた。
剣道はまだ基本中の基本のことをしている。 意外と竹刀は重いもので、腕はすぐ筋肉痛で悲鳴を上げた。 おっちゃんの指導は厳しいが、楽しくやっている。
そして今日、私は自宅近くの駅から電車を乗り継ぎ、2人がいる刑務所へと来ていた。
事前におっちゃんに今日行くことを伝えてもらっていた。面会の許可も取ってある。
2人に会ったら、まずは近況報告。そして週1で必ず会いに来ることを言う。
そして、

「ありがとう」

そう2人に言いたい。
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