Thank You 4.嫌な予感
次の日、どうも姉貴と俊さんの様子が変だった。 そわそわしていて、珍しく2人が口げんかしている。 誰もうちに来ないし、黒いカーテンは閉められていて、部屋の電気も点けては駄目だと言われた。 そうこうしているうちに夕方になって、私はカーテンを少し開けて、窓越しに夕日を見た。 真っ赤に燃えていた。あんなに激しく感情的な太陽は見たことがなかった。 昨日の月といい、この太陽といい、何だか悪い予感がした。 姉貴も俊さんもごみだらけの部屋のリビングで、静かにビールを飲んでいた。
沈黙。
私は食い入るように燃え盛る太陽を見つめ、そして視界の端に白と黒でペイントされた車を捉えた。
「サツだ・・・!」
部屋の空気が一気に張り詰められたことがわかった。 姉貴は玄関の鍵を確認し、俊さんは私を裏口へと手招いた。 裏口のステンレス製の取っ手を回す。 俊さんが静かに下りてと小声で言った。 俊さんが先頭に立ち、私が続き、最後に姉貴が来て、裏口の鍵を閉める。 嫌な予感は当たった。2人はサツが来ることを分かっていたんだ。 慎重に、でも出来るだけ早く、私は俊さんに続いて階段を下りた。 マンションの裏の駐車場に出た。そして階段の終着点で待っていたのは―――
拳銃を腰にぶら下げた警官だった。
「警察だ!手を頭の後ろで組め」
俊さんが勢いよく警官を足蹴りして、更に右ストレートをためらいもなく相手の左ほほへかました。 警官は倒れ、俊さんは走り出した。私も姉貴も俊さんについて走る。 隅に停めてあったパトカーから誰かがゆっくりと出てきた。 がっしりとした体格の、背の高い俊さんも見上げるほどの長身の男だ。 夕日を背にしてこちらへのびる長い影は、こつこつという足音を駐車場に反響させながら近づいてきた。 俊さんがまたもや右パンチを今度は相手の左横腹にいれようとしたが、そいつはするりと避け、俊さんの殴りかかろうとしている右腕を、上から軽々と叩き落した。 俊さんの「うっ」という唸り声が聞こえて、後ろで姉貴が息を呑む音が聞こえた。 更にそいつは俊さんの膝の裏に蹴りを入れ、俊さんはがくんと膝から崩れ落ちた。 叫びながら姉貴が私の後ろから飛び出して、その警官に掴みかかろうとしたが、腹にパンチを食らって、しゃがみこんだ。 私はただ呆然とそれを見ていた。何もかも終わったんだと思った。 姉貴の「奈央、逃げろ・・・」という声を聞きながら、なおも動けなかった。 逃げられるわけがない。姉貴と俊さんを置いて、逃げられるものか。 だったら選択肢はただ一つ。
「うわぁぁぁああ」
私はそのごっつい顔をした警官に飛び掛っていった。体を丸めて、相手の懐へと突っ込んでいく。 至近距離まで近づいて、さっとしゃがみ、警官の足に蹴りをいれ体勢を崩す―――はずだった。 だが相手は私がそれをする前に、まるでそう、小さな子どもに向かってするように易々と、右肩を鷲掴みにして動きを止め、体を回転させて右腕を後ろに無理やり回した。 そしてそのまま地面へと押し倒す。 瞬間の出来事で私は何が起こったのかわからなかった。 ただ腕は痛みに悲鳴をあげていて、頬はひんやりとしたアスファルトの感触を伝えていた。
やがて上に上がっていた警官たちが下りてきて、私たちは署へ連行された。 姉貴と俊さんは1ヶ月前コンビニ強盗をして、防犯カメラの映像から2人が割り出されたのだという。 そのときの映像に私が映っていなかったのと、2人がそのことに関して“奈央は一切関与していない”と言ったので、私はすぐに解放された。 実際私はそれに関わっていなかったし、姉貴と俊さんがそんなことをしたなんて、信じられなかった。 けれど今まで私が食べていけたのは2人のおかげだし、この1年間何もせず、ただ毎日をぐうたら過ごしていただけだったから、2人に食わしてもらっていた私が、2人にどうこう言えるわけでもない。 むしろ2人に感謝しなければいけない立場だ。
警察署の前で、私は言い知れぬ不安と孤独を感じていた。もう私の周りには誰もいない。 姉貴は捕まってしまった。俊さんも捕まってしまった。 2人がいなかったら、私はどうやって生きていけばいいんだ。 やっと自由になれたはずなのに、やっと信じてくれる人を見つけたのに。
気付くとあたりは真っ暗で、また雨が降り始めた。どうやら私は雨女らしい。 それとも人生の転機で雨が降るのか? 私は大地に迷いなく降りかかる雨と一緒に、大声で泣いて、泣いて、泣き叫んだ。
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